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by missiontomars

『「ホロヴィッツとの対話」見てきました。』の巻

 ちょっと前になってしまいますが、、三谷幸喜脚本演出の舞台
「ホロヴィッツとの対話」を見てきました。

以下、ネタバレを含んだ感想になりますので、ご注意下さい。

 観劇を終えて、まず頭に浮かんだ感想は、(同じ三谷作品である)
「国民の映画」と似た作風だなと言う事でした。
 帰宅してから知ったけど、今作は「コンフィデント・絆」、「国民の
映画」に続く、海外芸術家シリーズの3作目なんですね。
作風が似ていたのは、そういう訳なのかな。

 登場人物は、世界的ピアニストのホロヴィッツ(段田安則)と
その妻であるワンダ(高泉淳子)、ホロヴィッツに仕えた調律師の
フランツ(渡辺謙)と、その妻であるエリザベス(和久井映見)
と言う2組の夫婦です。(なお、いずれも実在の人物)

 国民の映画は、登場人物がやや多すぎる所が、少し残念に
感じていたのですが、やはり登場人物の人数は、これくらいに
おさめた方が、三谷作品の良さは際立つなと感じました。

 三谷作品の特徴を一言で表すなら、場面転換が殆どなく、
何か新たな出来事や事件が起きる訳でもなく、
登場人物の会話だけで、見事に起承転結を作り出して
しまう点だと思います。

 登場人物が多すぎると、この点が、ぼやけてしまいがちだと
思うんですよね。(まあ、12人の優しい日本人なんかは、
登場人物が多くても、この点見事だったけども)


 話は、フランツとエリザベスが、ホロヴィッツ夫妻を自宅での
ディナーに迎える為に、色々と準備している場面から、始まり
ます。
 気難しいと言うか、我がままと言うか、神経質と言うか、
拘りが強すぎると言うか・・・、そんなホロヴィッツの性格を
知っているだけに、準備にあたふたとしている様子で笑わせて
くれます。

 ホロヴィッツのクセのある性格は重々承知ながらも、
ピアニストとしての才能に惚れ込み、全てを受け入れようと
している感じのフランツが、なんか素敵に感じたり。

 と、ここで三谷作品にしては珍しい場面転換があって、
フランツ宅に出かける前のホロヴィッツ宅の様子が描かれます。

 ここでホロヴィッツとワンダの人物像や2人の関係性が
大体見えてきます。
 子どもみたいなわがままおじいちゃんホロヴィッツと、
それを諭す妻ワンダと言うか。
でも、そんなワンダの方も、実はクセのある人物である事が、
この時点で、なんとなく分かります。


(この場面は、後々のフリになっていたりもするので、
必要性は分かるんだけど、三谷さんがめったに用いない
場面転換を、唯一この場面でのみ用いてまで、何故、
このシーンをわざわざ描きたかったのか?
それがちょっと良く分からなかったです。
上記の必要性の部分については、描きようによっては、
場面転換なしでも表現できたと思うんだよな~。)

ここまでが起承転結の「起」。
 
 さて、フランツ宅やってきてからも、水はエビアンしか
飲まないだの、食事も、あれは食べたいけど、これは食べない
だの、部屋が乾燥しすぎだの、ともかく我がまま放題の
ホロヴィッツ。

 妻ワンダの方も、そんな夫を諭しているようにでいて、
言葉や行動の節々に、上流階級的な我がままさが垣間見え
たりします。
 挙句には、ソファーの位置が悪いと言いだして、勝手に
模様替えを始める始末。

そんなホロヴィッツ夫妻に、これまで我慢していたワンダの
怒りが、ついに爆発します。

と、ここらへんが起承転結の「承」に当るでしょう。

この辺りの会話のやりとりの楽しさと言うか、面白さは、
さすがは三谷さんです。

 ただ、笑いは満載なんだけど、何処かコメディーではないと
言うか、シリアスの空気が漂っていて、これは一体どっち
なんだろう??と言う、フワフワした感じが長く続きます。

 「あれ?ひょっとして、このまま終わっちゃう??」
と心配になりかけた頃になって、ついに「転」がやって
きました。


 なんだかんだあったものの、ホロヴィッツ夫妻も
ディナーには、それなりに満足したようで、一応は、
一段落かと言う雰囲気が漂います。

 しかし、ワンダが、フランツ家の子育てについて、
あれこれと口出しをしはじめて、エリザベス家の子ども達と
比べて、うちのソニアはこんなにも素晴らしいなどと延々語り
出す事に、辛抱堪らなくなったエリザベスが、ついに、禁断の
一言を発してしまうのです。


「ソニアは、もう亡くなったのよ!」
「あなたがソニアの話をするたびに、周りが気を使って
おかしな空気になるのに気が付かないのか!」


 言い返す言葉が見つからない様子のワンダ。

そして、ホロヴィッツが、ゆっくりと口を開きます。
「娘は、我々が殺したようなものだ。」と。

ワンダは、名指揮者であるトスカニーニの娘でした。
トスカニーニとホロヴィッツという偉大な音楽家の血を
継ぐ娘に、多大なる期待をかけていたワンダ。

 しかし、それが重荷となって、娘のソニアは自殺未遂して、
その後に亡くなったのです。

 一方のホロヴィッツも娘に芸術面の才能がない事を
早い段階で見抜いていて、それをワンダに指摘はしていた
ものの、それ以上の干渉をすることはなく、言わば放任して
しまっていたのでした。
 
何とも切ないホロヴィッツの告白。

「子を失った悲しみがあなたに分かる?」
「神など存在しない。」
と言うワンダに、フランツが涙ながらに語ります。

「空襲で信心深い家族を失い、神様なんていないと思った。」
「だけど、土に埋めておいた楽器が奇跡的に無傷で出てきて、
また希望を持てた。」
「神様に頼ったり、まして非難したりするのではダメ。神様は
いつも傍にいるんだ。」

この独白の場面はなかなかの圧巻です。


この10年間、娘が自殺をしたと言う現実とその原因に、
それぞれ違った形で目を背けてきたホロヴィッツ夫妻が、
やっと、現実に真正面から目を向けるきっかけとなる
場面だろうと思います。

 最後はホロヴィッツ夫妻が帰宅後の両夫婦の会話と
ちょっとした後日談で、普段は他人の家のピアノは
ひかないホロヴィッツが、フランツ宅のピアノを
弾こうとすることろで終わります。
ここらへん、もう少しだけ、時間を掛けてしっかり描いて
欲しかった気もします。



 登場人物の設定以外、一切の予備知識なしで見に
行ったのですが、それぞれに拘りと誇りのあるピアニスト
と調律師の物語なのかと思ったら、そこはあまり重要では
なくて、とある家族と家族の物語と言う感じでしたね。

それにしても、段田さんと高泉さんの芝居は見事に硬軟
織り交ぜてと言う感じで楽しかったです。



           以上、長々と書いてみましたが、
最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。
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by missiontomars | 2013-04-15 16:45 | 感想・レビュー関連